東日流藤崎金光山施主院縁起

第一巻

良如是書

光明無辺三世世界照十方、茲奥州東日流
江留間郡行丘濱、□□金光房□□□、建
保五年三月二十五日□□金光房入滅後、
依甲野七衛門歸依于得開起。
建保五年七月二十五日、
金光房養生地藤崎、
建施主堂。


悲涙 地頭甲野七衛門、賴滅後 金光坊、極樂阿彌陀佛、天女

天正十二年三月二十五日再筆
良忍花押

施主堂縁起

建保癸酉元年十二月十三日念佛僧金光房奥州皆淨土の宣教を求めて東日流領主安藤秀景殿に巡鉢の許を哀願し、地頭安倍与四郎是を謀りて赦免せり。金光房大いに喜悦して行丘より日毎に通じて念佛傳教に勤むるも、夷人耳をかたむく者無し。冬雪寒風針を含むが如き寒きに、民家に宿を乞へども誰ぞ施心も無きに、金光房飢寒に窮して藤咲沼辺に一本の老松を見當りて根方の空洞に一夜を過せり。金光房是を施主の松と號して、以来住めり。

(※以下断裂)

吾れは得たり。夷國に来たりて今こそ佛の信者を得たりと念佛せば、老婆念佛を知らざる□□尋ぬる。お主は毎朝夕、南無阿弥陀と唄ふるに□□□□□□と。金光曰く、吾が申したるは唄に非ず。幸□□□□□□□行なりと。老婆は孝子な□□憂いては更に金光房を吾が……

(※以下断裂)