巻物断片より

……分かち、迷信多く衆に及ぼし、遂に正法を離れて末法の兆しとならん。佛道の本旨は諸疑の論に分派して圓満せず、佛祖の正傳は何虚方去りて尋ねんとするも蹤跡だに無し。況や佛の智覚も遺る所を侵され諸行の制多に薄福山得の衆生は久遠に佛の親しき悟りを□□□□復び逢うべからざる多し。佛の正法は諸行の学徳に非ず、無疑の精心と大要あり。發願する者をして三世の業障を解脱し佛の大道に通達を得るなり。

我等が身心は三世に往来して善惡の業を遺し、亦輪廻の因果に依りて其の報を受けたる今生の我等なり。過去・現在・未来の三界に佛は正法眼を以て娑婆往来の衆生を見通せる法藏の救世主なれば、衆生を愍念すること一子の如く、正法の大要に證明し奉る所なり。靜かに憶うべし、何に況や末法になんなんとする今日の我等を正法に逢う無上環を開き患悩の解脱を求め唯當に餘外の宣に心迷はず、身心を正法の爲に今日の我等を願ふべし。正法とは無窮なる空の如く、雲群がれども閉がらず、濁水聚りて流れども濁らぬが如く廣大慈門を一切衆生の爲に開きて済度摂取に平等の皆化を被むらしむるなり。是の法門を念佛正法の淨土門と稱す。

念佛とは三世を輪廻せる娑婆往来の衆生業累を憶眼せる三世一光佛即ち過去界は勢至菩薩、現世は觀世音菩薩、未来界は阿弥陀佛等三世常住佛と一稱して念佛本願とす三世有縁の佛法僧、是に籠り證しむ所三世三尊の威力は三界諸々に及ぼして現はるる故なり。勢至菩薩は過去界より受け難き人身を授け、我等を娑婆世界に生誕せしめ、現世界に於ては觀世音菩薩三十三化に分身して我等が生の善惡を常に見通し、造惡の者を堕し、積善の者を昇らしむるなり。終命に臨みては未来界に引導せる本願主阿弥陀佛は九品上明座を安んじて求道の衆生を来迎摂取し給ふなり。

九品とは念佛衆生して専修念佛の積心精進の安心立命感を得る心境にして、阿弥陀佛本地は平等なり。念佛往生の願行は三世三佛の一光に恭敬し、我等が三世に於て罪障の業累を解脱せしむ救済道なり。専修の行願は佛の本願なる阿耨多羅三藐三菩提の佛果、悟りの親しきに顯す、帰依心の誠にして我が世に度らざる前より現在を未来を一向念佛にたのみて後生に生死を輪廻すると雖も其の因縁は皆菩提道の行願となるなり。過去の光陰を空しく渡れる者も今生の未だ過ぎざる際だに發願すべし。

念佛本願の求道は只南無阿弥陀佛と稱へて必ず佛の冥助を受く也。念佛は西天東土佛祖正傳の實相教傳にして、釋迦牟尼佛の開悟通達せし行持なり。然らば一日の行持は念佛の一念より五念乃至十念に積む功徳は我れ獨りの爲ならず、救世の種子となり自他ともに安養の起證となりぬべし。諸教の道に理を効□て験らむ者多しと雖も錯……

(※以下断裂)

金光月影抄(巻物の断片)

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金光月影抄 求道篇 終
應永元年三月五日 念西謹書

末法念佛獨明抄

上人御染書焼失

応永元年三月五日
西光院住 念西写書

南無阿彌陀佛□□□□□□。
夫れ往生に安心求道を願ふは諸教の一大事、本旨なり。一度び生を娑婆世界に受けたる者は生命の不老長壽を慾して死を厭ふ心に怖れ、佛の十戒を徒らに破り易く佛の本願に遇ひ難し。生死は諸行無常の中に憑み難き苦悩の因縁なり。無常忽ちに到る刻に露命は光陰に移され、形骸は旣に私に非ず、雲土の辺に歸る耳なり。臨終に入りては如何なる理法・權・財寳を掌中に有する者も、黄泉に伴ふは難し。今生の我が身は二つ無し。徒らに多説を願ひ因果の報を造惡する勿れ。三世の輪廻業報を當に知るべし。

善惡の報は今生の我に覚へ候はずとも前世の諸業は必ず報はるるなり。善は善報あり、惡は惡報にして報あり。思惟するべし。是の故に佛法世に遺り衆生の爲に法門を開き求道の者を救済せんとす。誠心を専らにして三世の業報を感覚し、三宝を發願の懺悔心を起こせよ。況や外道の制多に所逼を怖る事勿れ。我を救ふは無疑の誠心なり。佛吾ともに自他の願力相加はりて障道邪縁を砕く耳ならず、三界に流轉するとも佛の所證なる阿耨多羅三藐三菩提・金剛不壊の累徳を得るなり。諸々導師は積学智識に佛法を論ずる餘り本願を外れ宗を……

(※以下断裂)