金光上人関連の断片集

引導 金光房埋葬要唱
諦聽諦聽、四大本來空、奚分
別泡沫与夢幻。妻子猶溲器、
況珍寶乎。疇能隨汝者、儻不
破壊一團心識、亦焉知寂滅之
為至樂。頌曰、荷葉与花共浸
影、浙瀝涼風蕭颯急催秋、
其氣清冽其色惨、淡涅槃室
中、物僉休息。吁得時哉、即投
与以下火。最後之句、子作麽生、
看破熱池、中竝頭蓮、分明紅
爐、上一㸃雪、喝。
建保五年三月二十五日
忍亥花押
金光上人御生涯之事
御入滅十七年忌涙愢
西光寺 導西謹書
施主寺 西覚逑言
第一章 金光房脚跡之事
……夜毎日毎に是の老松より念佛の唱聲、里人に絶えて聞えざる日無く、折々是を不思儀なりと訊ねし老婆ありて金光房に問ふ、
抑々强體をして哀れかし。
お主は狂心なりしか。
親族ありせば歸郷せよ。
東日流の冬は寒けきに、老婆の言を聞入れかし。
老婆一枚の海草を干して組にし夜市を与たり。金光房忝なく頂きて曰く、
(※以下断裂)
……極樂の九品上生に生る無知の心信なりと。老婆しばらく思考して曰く、
あゝ嬉しや、お主は狂人ならず。誠の佛僧なり、
と老婆大いに喜悦して金光房を林崎の我家に招じたり。金光房は老婆の救ひに依りて
(※以下断裂)
……子の如く悲しみて眞の狂人と思取り、
お主は親族無き身なりせば、吾が家に冬を越されよ、
と落涙す。金光房は老婆に三礼して曰く、
老婆よ、吾が唱へたる念佛は汝の今の心なり。 他人を吾が事に悲しみ、そして施の御心に涙を以て吾を哀れむ、その御心こそ南無阿弥陀佛の本願にして、死しては……
(※以下断裂)
流罪赦免狀
土門僧源空、讃岐流預之儀、
此度勅願道場阿闍梨金
光房圓證殿依特願、
叡門相謀議候次第、
- 藤井基彦赦、僧名法然改名者也。
- 念佛専修儀、後日砂太、不待一唱雖修不可。
- 但念佛布教、追砂太、是無行不可。
- 赦免後、京師十里四方、居住不可。
承元己巳三年四月一日
中將納言 京極仁麿花押
源空殿
於金光房飛鳥川、阿弥陀佛奉拾之事
抑々是は東日流国魔神山の麓なる川を登候時、この湲川の水上よりいとも愛たき如來像流れきて候へば、原来この山奥にこそ浮世避けたる神仙をはしますにや候はんと、金光房何處までもわけ登りてたづね見ばやと思ひ候。峯の白雲、谷水……
(※以下断裂)
金光房圓證
夫れ金光房圓證上人とは奥陸東日流佛教弘通の聖者にして、修験宗元祖役小角仙人に次ぐる名僧なり。建保元年に轉法輪の釋迦牟尼佛十大弟子に説きたる如く、六尺三寸四十貫の巨體を雪魔に埋め淨土教を永遠に遺したるは我等信者の法鏡なり。佛法とは己れのみ救はるものに非ず。業に深き凡夫の輩、聖の遺したる念佛にて往生を得る圓かなる證なり。金光とは淨土なり、圓證とは摂取の證なり。
天文元年三月二十五日
江羅五兵衛
初陣の辭
武の道は
撃つも討たるも土器ぞ
碎けて後はもとのちつくれ
武の華は
老木若木も散る櫻
おくれさきだつ花はのこらず
武の魂は
戦の場に死は易く
練磨の場に死は難し
當道朝臣現若花押
藤咲施主寺
梵鐘小量なりとも音量に富み、巌鬼川の流水速けれども水音なく、古城に鳥さえずる老樹の縁。金光房かく所に念佛を遺せり。施主寺とは善哉。豊作は天の施なり。往生に遇せるは佛の施なり。
(※以下断裂)
断片
於讃岐国
法然坊源空謹作
承元乙丑天十月十五日
与金光殿
金光殿
源空
金光殿
源智