天真名井家文書

覚往生記

念佛僧金光

正中山颪の吹雪、肌を針突く如く痛寒し。床に舞込む粉雪、顔にかゝりて冷たし。積れる雪の重さに笹屋の棟は、くの字に曲がりて潰れるが如く危なし。飯米残り少なけれども病身、床に伏しては托鉢もならず。一と握りの米を貝鍋に、今日の糧とす。

吾が命脈は飢えに満ぬか、吐血して臨終を餘告す。気分まめならず、我が髪に似たる筆を以て、念佛衆生の爲に、吾れ知るのみを一巻に走筆して、吾が滅後に遺し畢ぬ。幽かに眠を覚へて床中に温もれば、全身に蚤かゆし

建保五年三月一日

笹屋の空間より日和さし、□の瞼にまぶしく覚へて眠り覚ぬ。昨日の嵐にて舞込みし床上の雪を□立に集めて、捨てつる身の動きにも苦咳をやまず。倒れ伏す。鳴々また吐血なり。叡山の荒法師と稱されし若き日の吾は、今にして木乃伊の如き形骸を、東日流の果に飢えと寒さに老骨を埋めんとす。

佛よ、聖者よ、
吾が生涯の果に臨みて、何故に苦しみを、何故に難行を賜り給ふぞ。金光が心身に、奥州皆淨土を願ひ、盡せるところは皆盡し、力の限り□の限り佛道に捧げん事は、皆捧げんに、木乃伊の形骸□をか足んや。

建保五年三月二日

佛の護ると申候事は、己れが心の强きに依りて候か、吾れ女人を度して首討るは本願にも叛きて候かとぞ安樂房が今宵も夢に吾れを誘ふ。善哉。浂こそ心に勇あり、死罪に刑場の露と消えにしも、浂は本願に乗じたりとぞ励まして、夢覚めたり。

善信房□□□□□と女人と佛寺に同住し、子を生みても、本願の深きに依りて救はれなむ。吾れとて京師に妙姫の想出あり。僧なりせばと、煩悩を制え来りしに、老いて未だに消えやらず。悔ぞ残りける恋は迷いなり、愛は悟りなりと。

建保五年三月三日

日和なれども、風寒し。月影のかたむくまゝに、餘世を浮草の如く、世襲の流れにしばらくも駐まりたる験しなく、

逝ける日近しと、省りみば、吾が一生の行に悔もなく、長しとみずかしと、身に生のある限り、唯念佛を申して未来世を本願に安ずるなり。

建保五年三月四日

灰色とばりの空に白鳥の飛ぶを見る。翼無き身にあれば、京師洛東に、想ぞ走るなり。夢は善き哉。眠りて亡き父母に遇い、若き日に歸りて友と語り、亡き師と語り。病起らぬ夜の夢もぞ楽しけれ。

建保五年三月五日

吐血なり。昨夜半より、咳ぞやまず。苦しきに眠れず。蚤またかゆし。吾が法衣に粉の如く、蚤卵未だに産みにける。吐血の吾を便る蚤よ、吾死なば誰を便らむや。

木乃伊の如き貧血の吾れより、吸血の味はひもじかろ。蚤共よ、されど死を吾れと同じくなりるらん。後幾日の娑婆ぞや。枯れゆく命脈の數は、ひとつひとつ、黄泉に逝く日の近きを覚ゆるなり。

建保五年三月六日

六尺三寸四十貫、
人の三倍力持ち、
人の三倍賢くて、
阿呆じゃなかろに、
物乞の犬にもおとる大男、
世捨ての森は住よいか、
朝から晩まで南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

誰ぞ作りしか、吾れをはやして唄ふ、村童の阿呆唄。今日も軒に来て、吾れを隠れ見る童の唄声。善哉。童に罪はなし、善哉。阿呆唄にも、多念に念佛あり、一念乃至十念、唄ふほどに吾は満足なり。無心なる童よ、救はれよ、と心靜けく吾れも念佛す

建保五年三月七日

とやかくと誰に遺さむ當もなき、
この筆も愚痴なるか思ふにならず。

建保五年三月八日

春ぞ遠からず。雪解の水はせゝらぎ、川橋に童の遊ぶを見る。
危なし、童は流れに落らむ。吾れ病を覚へず、床起き川に飛込みて、童を救ふ。激しき流れに三人の童命を無事ならしめ、力盡きて、岸に多く吐血せり。鳴々、吾が木乃伊の命も□の慘事のある爲に、生を保たるか。
弥陀よ、聖者よ、有難し。吾れ死すとも、三つの命は救はれたり。彼の童、念佛を生涯に忘れめや。

建保五年三月九日

嗚々、火の如く熱ある吾が病身。昨日の川入りに、童の親来りて馳走を布施するも、脆き身に味を覚へず。たゞ眠りたし

建保五年三月十一日

心ばかりの良さに床起きて佛前□□、願はくは師の命日に刻日を同じく世さらんことを祈りて、髪を剃る水鏡に、吾が顔の衰うを見るに、これ父なる長安寺國平によく似たるとぞ思ふに、ひとひらの涙こぼるゝ。因果なる我が一生のつれづれは、怒涛の如く寄せて、はかなくあだるさま、走馬灯の如く瞼を駈けるなり

建保五年三月十二日

うらめしや。木乃伊の身に未だ残れる血ありてか、吐血し、死来たりとぞ佛前に伏して、念佛せど、命脈身を去らず。

建保五年三月十三日

夢に弥陀の御聲ありて曰はく、

凡そ本願の死に近し。一寸の光陰あらば、尚廻らして、往生に念佛を回向爲べし。然あらば、從來に輕ぜし光陰は佛の本願行持に満るなり。行少なしとも疑う不可。二尊明らかに知覚を遺さず。起す所の功德は、平等摂取に蒙ぶらしむなり。
金光よ、往生一現するとき、来迎を誓ふ。佛の本願を、夢疑ふ不可。心靜かに安心を保つべし。

是の御告に依りて吾は心躍りぬ

建保五年三月十四日

生々流轉の生涯を、奥州東日流の苔に埋むも、雲水ならば悔もなし。
久しくして、甲野七ヱ門訪れぬ。語らふほどに、我が病床を哀れみて、古き衣や蚤巣の床を外に焼拂ふ。吾れに新縫の法衣を着せしめ、笹屋のさまに涙せる七ヱ門。吾れを背負いて、己が住居につれゆきぬ。
七ヱ門涙して、かくなる聖りの教へをば、今に求めて心に得んやと訊ぬれば、今日を明日をも知れぬ病床にあり、幸いなる哉。遇ふを叶いけるは佛の業ぞ、と木乃伊の吾が身を湯気にて洗いつゝ、申しける。
吾は得たり、眞の信者を。七ヱ門よ有難し

建保五年三月十五日

苦しき身は病床なるも、七ヱ門妻子よく吾れを守り薬師の薬湯、飲むほどに、心安まるなり。されば、吾れ生ある内に甲野七ヱ門殿に念佛本願を授傳せずばなるまいぞ、と申しければ七ヱ門忝けなく信受して、願はくば凡夫の我を入道に叶い給へ、と答へける。善哉。浂こそ東日流に遺せし我が佛弟ぞ。法名を吾が師の二字、吾れの二字を与へて、法光房然證と授けたり。

建保五年三月十六日

誰ぞ報せしか、不二崎に吾れ□施得度せし、林崎の老婆やよ殿が訪れむ。吾病床にありと、知らず泣く。嗚々、この老婆とて吾が教草に得度を受けにし信者なり。七ヱ門殿、吾に請ふはこの老婆□法名をと願ふ。吾はもとより望む所なり。法名を法藤尼金蓮と授けたり。老婆悦びて念佛し、米漬物を布施して、法話を聞き入れむ。

建保五年三月十七日

吾れ七ヱ門殿の住居に移りては、昨日に変る、念佛を求むる人の數を増し、病の忘る心地にて、弥陀の本願語り、知らず夜を更け□□。

建保五年三月十八日

我が生息ある間に遺したきは、末法念佛獨明抄なり。

得阿耨多羅三藐三菩提、離一切邪見不心顚倒、佛本願不疑。煩惱滅除、十戒不叛、三世所造善惡業報依因縁、故障自入無上心、深三寶歸依奉、念佛本願入可。念佛道善哉、二尊愍衆生罪深心貧、茲入易亦得易大慈門、爲一切衆生開置也。是西方淨土□念佛專修者、所皆平等攝取蒙法門也。

佛は證し奉る。右の心に至る者は必ず救はるなり。今日はよき日ぞ、久しく見ぬ巌鬼山の雄姿は、吾が心の如し。

建保五年三月十九日

東日流大里城主は甲野七ヱ門殿の哀願に依りて、地頭役を免役せり。七ヱ門、心に出家となるを志してとのこと。吾れ知らず、涙こぼるゝ。

建保五年三月二十日

夜話で遺す法説も、吾が身に無理とぞ知りて、吐血を起す以来聲にならず。話せる言葉も灰に書きしに、七ヱ門ならでは讀む者なし。眠りたし、たゞ眠りたし。

建保五年三月二十一日

七ヱ門よ、林崎老婆よ。我が教へを護り給へ。
吾れ滅後は、人多く通う路中に埋めよ。金光を踏にし人を必ず本願に導くなり。旅に布す雲水の死は、路に在り。彼の阿波介とて、路に死せりと聞く。

建保五年三月二十五日

師の命日は明後日なり。我もその日に逝きたし。
我れは死すとも、必ずや奥州皆淨土を、七生に生を□へよを爲さん。

建保五年三月二十三日

嗚々、たゞ眠りもせずして眼は見えず。誰ぞ吾れを呼にしか、耳も遠し。この生は、今日をかぎりなり。後は七ヱ門殿に賴□□□。命脈時をして激しく、死は近し。今宵にも來迎ありにしか。餘多を想はず、念佛に入る。

建保五年三月二十四日

以上、建保五年三月二十五日に入寂せる金光上人が、病床に入りて書遺したる文面なり。金光上人の御書は正平二年に焼失せるも、北中野の語部に依りて再筆す。

應永元年三月二十五日
念西書