天真名井家文書

書遺之事

知らず生を娑婆に受け、無常忽ちに到りては、露命いかなる道の草にか消えん。憑み難きうたかたの浮世に、諸行の中に安心起證を求め、身心に験して、得るもの總て諦らむの自得なり。肝に銘じて一寸の光陰も虚しく度るべからず。徒らに百歳を生けらむは、恨むべき日月なり、哀しむべき形骸なり。人身をして生を娑婆に預るは、設い薄福にして其形陋しと雖ども、畜生に優るなり。

無知と雖ども尚、優るなり。我が運命困難なりとも、地獄に堕ちにしより幸いなり。當に知るべし、徒らに諸行の理に効い、錯りて邪見に堕ち、惡道に踏入るべからず。今生の我身二つ無きに、心は冐じて百を越ゆるは、今の我等が宿業なり。佛道値うこと希なると曰ふは、誠心を專らに懺悔なきが故なり。佛道に値うは己が心なり。心に疑あらば佛道に値うは難く、心に懺悔あらば自ら我を極いて證入せん。無疑の心に精進するときは、設い過去に惡業多く、罪障多く重なる因縁ありとも、佛の本願深きが故に業累を解脱せしめ、諸因障り無からしむるなり。

信心浅しとも疑ふべからず。無智・愚とんの輩と雖ども、佛の摂取に障りあることぞなし。幸いなる哉、佛の愍念する大旨は、心貧しき衆生□□山道に救う爲のものなればなり。

諸行は無常なり、是れ生滅の法なり、生滅を減じ己りて、寂滅を樂と爲す、

と釋迦牟尼は曰へり。是れ佛道の正法なり。生死は輪廻にして、しばらくも駐まらず。

設い天上・人間・地獄・鬼・畜生なりと雖ども、三世の輪廻を免がるゝは無し。是の故に、日月星も輪廻す。佛の本願に、往生を西方に願ふは、天界悉く西方に往生するが故なり。當に悟るべし。西方を阿弥陀の淨土と、十方より道交するは迷惑のなきが故なり。西方往生なる本願は念佛なり、唯念佛なり。此の他に多く知覚を廻さば、二尊の愍みに外れ、本願にも外れて外道の制多に迷い、佛證を尋ねんとするも蹤跡を失い、本願を固く離れて遇ふこと難し。

何に況や所遍を怖るゝ勿れ。常とも佛我と常住し、生死の輪廻往來の到るとき、生死の中の善生・最勝の受難き□は人身にして生まざらしめん。生命不滅の信念を究盡し、三寶を敬い、佛の十戒を護りて犯さず。唯本願に歸依し奉るは、念佛の他に無上の方便なし。金光が以上を衆の爲に遺して、今上の木乃伊の如き枯身を、深奥の東日流に弥陀の来迎を信じて、永眠を待はびるなり。

建保五年三月十日
金光沙門圓證花押