天真名井家文書
末法念佛獨明抄(断片集)

金光坊沙
圓證花押
元久乙丑天、神無月筆染
序
抑々、末法念佛獨明抄は祈祷加持文に非ず、一宗の自讃にも非ず。
末代衆生が求道せし諸行を審びらかにして、心身は禅定に入るが如く、正法本願の尅果に善種せん。
他に全く別義を存せず。唯二尊の教に殉じて、念佛専修の行持を、この六巻に至極せるもの也。
(※以下断裂)
末法念佛獨明抄・断片より

□□して平等を破る事さらさらになく、引導すること一子の如し。
日進月歩に人は諸事に進化を得ども、心の貧しきは未来に幾歳を過ぎ逝かしめよとて因果の業障を断ぜずば、重ねて罪障となりて畜生・鳥・虫・魚類等に生を受け苦しむなり。
釋迦牟尼佛、西に入りて、佛日も遠くなりぬれば、人師論師の多く出づ。虚化愚教の宗を起して正法を尋ぬるにも佛所の證跡だになく、徒らに宗脈を起して末法になんなんとせる兆を抱くなり。
心せよ佛道に二つ無し。日輪出でて星消ゆる如く、天にも日輪二つ無し。正法は日輪の如く、佛道の説く西方往生を願ひ、日輪の入る西方常住の本尊、南無阿弥陀佛の本願に應ぜよ。
諸行諸宗に迷ふ勿れ。正法とは念佛なり。念佛本願こそ人身生命の不滅輪廻なり。つらつら觀ずる諸行の制覚に迷はず、心身に念佛正法を獨明し、罪障を消滅して三世に佛果を遺しべし。
正治二□□□□
(※以下断裂)