中山本願處三寳山 大光院秘録

求學究明之修験宗略譜

明治庚午年誌修

例言

本書は修験宗古今の重要なる歴史的事實を網羅蒐集し、且つ其年代等を容易く對照知悉し得可からしむる、謂ゆる温故の資に供するの目的を以て編書せしものなり。修験宗は神武帝の即位元年辛酉を以て紀元と定め、支那は黄帝即位六十一年甲子を以て紀元と為し、朝鮮は李氏建國壬申を以て紀元と為し、印度は釋迦入滅の年壬申を以て紀元と為し、回教國は馬哈黙徳が黙加に脱したる年辛酉を以て紀元なりと定めり。其他支那にては尭帝即位の年甲辰を用ゆるもの、孔子没年壬戌を稱するものあり。

又羅馬開府の年戊子を紀し、而して之を對照すれば次の如し。日本紀元神武帝辛酉年元年は西歴紀元前六百六十年、回教紀元前一千二百八十一年、朝鮮紀元前二千五十一年、亞米利加發見前二千一百五十一年、支那黄帝紀元後一千九百九十年、尭帝即位元年後一千六百九十八年、孔子没年前一百八十一年、羅馬開府後九十四年、釋迦紀元後二百九十年に相當す。耶蘇降誕の年辛酉元年は日本誕生紀元後六百六十一年なり。併しながら修験宗の源は以上のみならず、宇宙誕生までも究明せんとす。

然りと雖も幾千年の事項を此の一巻に多少・事實錯誤・年代轉置等なきを保し難し。右を加味し讀勞を□まざらん事を望む。蓋し亦拙僧が修験宗の頒布の需めに以て老婆心に他ならざるなり。

明治庚午三年十二月
大光院花押

諸世界大觀

日本上古の事跡は史籍の傳ふる者なく、文字なく、多くは荒唐信ず可らざるの事に屬す。彼の古事記・舊事記等の古書に載する所の天神七代・地神五代の時世の如き、究竟正確を得る能はざるなり。故に神代は一括して其の詳を知るは尚能はざるなり。

日本神代

天地始めて開くるの時、髙天原に成りませる神の御號、

天之御中主神
髙皇産巢日神
神皇産靈神

右三柱は造化の元首並に獨り成りませる神なり。修験宗の起源本願是にあり。

可美葦牙彦舅神

國土始て成り浮脂の如く漂る時、葦芽の如く萌え騰る物より成りませる神なり。

天之常立神

右二柱の神も獨り神にして、是を別天神と申す。

國常立尊
豊斟渟尊

此の神も獨り神にして成りまして宇宙造りの神なり。

泥土煮尊
沙土煮尊
角杙尊
活杙尊
大戸之道尊
大戸之邊尊
面足尊
惶根尊
伊弉諾尊
伊弉冉尊

神聖經倫の業此に基く淤能古呂島に降りまして茲に初めて夫婦の道を修め國土山川木火土金水の群神を蒼生□生み成し玉ふ。國常立神より此の二柱の神の御代を天神七代と曰す。

天照大御神
建速素戔嗚尊

右の二柱の神の御父母神は伊弉諾・伊弉冉の尊なり。依て天照大御神は髙天原に御す。素戔嗚尊は天が下に降臨し出雲手名槌の女奇稲田媛を妃と為す。

正哉吾勝勝速日天忍穗耳命

素戔嗚尊の御子を大神の養子となし、髙天原を治む。髙皇産巢日神の女栲幡千々媛命を妃と為し給ふ。

天𩜙石國𩜙石天津産々瓊々杵尊

天忍穗耳尊の御子大神は三種の神器卽ち八咫鏡・天叢雲剣・八咫瓊曲玉を賜ひ給ふ。
御神勅
豊葦原瑞穗國髙天原下日本國也。汝隆治天地共榮事正無窮也。
右神勅を奉じて諸神を率ひて日向國髙千穗峰に降り玉ひ、吾田長屋笠狹宮に御座し瑞穗國を平定し、崩ずるに及び可愛御陵に葬る。皇妃は大山祇命卽ち役小角修験宗元祖の神祖木華開耶媛を皇妃となす。天津日髙彦火々出見命、瓊々杵命の御子は初め皇兄火闌降尊と山海の業を爭ひ誓ひを成し、尊は海に入り海神豊玉彦の謀に依りて勝を得、聖位に即き玉ふ。豊玉彦の女豊玉媛を納れて妃と為し、髙千穗宮に御坐す。崩じて髙屋山上の御陵に葬る。

彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊

火々出見命の御子なり。豊玉彦の少女玉依媛を納れて妃となす。髙千穗宮に御坐し、崩じて平山上の御陵に葬る。以上天照大御神より此の間、年暦・事蹟等は漢として詳らかならず。人皇初代神日本磐余彦天皇を以て紀元とす。

支那上代

太古の事は載籍傳はざるが故に覚えざるなし。修験宗は其の創始を尊ぶも、蓋し泰西諸國中能く此の國を究し、伏義王・神皇王・有熊氏王、所謂三帝王の代に初めて書契耕漁舟車の制作ありたりと雖も、諸史概して荒謬の説多く、暦年も亦た詳かならず。降て少昊・顓頊・帝嚳・尭・舜の時代より暦史稍や尋ぬべきなり。

盤古氏

天地未だ分れざるの時唯だ一の氣あるのみ。盤古氏其の中に生じ、遂に五大の是より生ずるに至る。

天皇氏

兄弟十二人、盤古氏に継て天下を治む。無為にして民自ら化す。始めて干支の名を制し、以て歳の所在を定む。天下に王たること合せて一萬八千歳。

地皇氏

兄弟十二人、天皇氏に継て天皇累系の天下を治む。三辰を定め晝夜を分ち三十日を以て一月と為す。治世合せて四萬五千六百歳なり。

人皇氏

兄弟九人、地皇氏に継で天下を治む。山川を分ちて九割し各々其の一方に居る。是時に當て万物群生し政教を布き、君臣の別あり。治世合せて四萬歳。

南巢氏

人皇氏に継で天下を治す。水を構へて巢を為り木の實を食ふ。未だ火食を知らず。鳥獣の皮を以て衣と為す。

燧人氏

有巢氏に継て天下を治す。木を鑚て火を出し、以て民に火食を教ふ。始て結縄の政を為す。以上は固より信ずべきに非らざるも、他に正確なる年歴なきに依て舊史を揚ぐ。

印度上代

太古はチュラニヤンと稱せし人種國を為せしが、上古アリヤン人の移駐にて年暦経たるを久さしきなり。漸く混合して今は其の形跡だにも認めざるに至れり。印度史家に依れる處はアリヤン人此の地に移住を試みしは耶蘇紀元前三千年の頃にして、此の時代の歴史は概ね荒唐無籍の記事のみなり。□だカレイイユカ時代以後のみ稍や信憑すべきが如し。然れども固より確と言ふ得ず。依て佛道の元祖釋迦牟尼世尊をして天竺の唯一の紀元と為すなり。

淨飯王
麻耶妃
釋迦牟尼

紅毛國上代


人祖アダム、イブ、カイン、アベル、ヤツ、エース、カイナン、マハラレル、ヤレド、エノグ、メドセラ、メレウ、ノア、セム=子孫、亞細亞に蕃殖す。ハム=子孫、亞刺比亞及び亞非利加等に蕃殖す。ヤベデ=子孫、欧羅巴等に蕃殖す。

舊来泰西史家の稱道する處に依れば、世界人類の始は日本紀元前三千三百四十年前の頃、世界未だ成らざる前に於て上帝は天地萬物を作り、又男女二人の人類をパラダイスの地に造る。是を人類の祖と為す。其の男をアダムと云ひ、女をイブと云ふ。遂に夫婦と為り三子あり。長をカイン、次をアベル、季をセツと云ふ。其の後セツの子よりエース生れ、其の子カナイン、マハラレル、ヤレド、エノグ、メドセラ、メレクを経てノアの代に至り日本紀元前一千六百八十八年に天、大雨を降らす。四十晝夜大洪水の連續そそること百五十日、群生蕩滅し盡す。獨りノアの一族は僅かに此の難を免る。蓋しノアは豫め大洪水を知り一大舟を作り、その之く方位に任せしに亞爾米尼亞のアララット山に至りて止まりける。是に於て人類再び蕃殖し、是を人類第二祖となす。右何れも信ずるに揚げ難し。

日本人皇譜


神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝靈、孝元、開化、彦坐王、大筒眞若王、迦邇采雷王、息長宿禰王、神功皇后、崇神、垂仁、景行、成務、日本武尊、仲哀、應神、仁徳、履中、反正、允恭、市邊押磐王、安康、雄略、木梨輕太子、清寧、角刺女王、仁賢、顯宗、武烈、若毛野二俣王、大富杼王、宇非王


彦人主王、繼體、安閑、宣化、欽明、敏達、用明、崇峻、推古、忍坂彦人太子、聖徳太子、茅渟王、皇極、孝徳、齋明、舒明、天智、天武、弘文、持統、元明、施基太子、光仁、桓武、崇道盡敬皇帝、舎人親王、淳仁、淡路廢帝、草壁太子、元正、文武、聖武、孝謙、稱徳、平城、嵯峨、淳和、仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐、


朱雀、村上、冷泉、圓融、花山、三條、一條、後一條、後朱雀、後冷泉、後三條、白河、堀河、鳥羽、崇徳、後白河、近衛、二條、高倉、六條、安徳、後高倉、後鳥羽、後堀河、四條、土御門、順徳、仲恭、後嵯峨、後深草、龜山、伏見、後宇多、後伏見、花園、後二條、後醍醐、後村上、長慶、後龜山、北朝、光嚴、崇光、光明、後光嚴、榮仁親王、後圓融、貞成親王、後小松、稱光


後奈良、正親町、誠仁親王、後陽成、後水尾、明正、後光明、後西院、靈元、東山、中御門、直仁親王、櫻町、桃園、後桃園、後櫻町、典仁親王、光格、仁孝、孝明、今上天皇

右上代不明不審ありしも、明治太上官符之令に固定せばせんかたなし。

支那帝王承繼


盤古氏、天皇氏、地皇氏、人皇氏、有巢氏、燧人氏、太昊伏羲氏、炎帝神農氏、黄帝軒轅氏、少昊金天氏、顓頊髙陽氏、帝嚳高辛氏、帝尭陶唐氏、帝舜有虞氏、夏、殷、周、東周、魯、衛、呉、鄭、曹、蔡、燕、秦、斉、宋、陳、楚、晋、韓、魏、趙、漢、東漢、三國、蜀、魏、呉


西晋、東晋、漢、前趙、後趙、前燕、前秦、南燕、代、後秦、前涼、西秦、魏、南涼、西燕、西涼、北涼、北燕、大夏、南朝宋、斉、梁、後梁、陳、隋、唐、五代後梁、後唐、後晋、後漢、後周、宋、南宋、元、明、淸國は現在なり。

新羅國承累


赫居王、南解王、儒理王、逸聖王、阿達羅王、婆娑王、昔脱王、祇摩王、仇鄒、伊賀、骨正、奈解王、金味鄒王、訥祇王、于老、末仇、訖解王、慈悲王、炤知王、實聖王、某、習寳、助賁王、沾解王、儒禮王、乞叔、基臨王、智証王、立宗、法興王、真興王、銅輪、真平王、善徳王、國飯、真徳王、真智王、文興王、武烈王、神文王、孝昭王、聖徳王、孝成王、景徳王、惠恭王、宣徳王、元聖王、仁謙、昭聖王、憲徳王、興徳王、忠恭、閔哀王、憲貞、均貞、僖康王、啓明王、憲康王、孝恭王、定康王、眞聖王、憲安王、神武王、文聖王、敬順王、神徳王、阿達羅、王遠□、景明王、景哀王

高句麗王承累


東明王、瑠璃王、大武神王、閔中王、慕本王、再思、太祖王、次大王、新大王、故國川王、山上王、東川王、中川王、西川王、咄固、烽上王、美川王、故国川王、小獣林王、故國壌王、廣開土王、長寿王、文咨王、助多、安臧王、安原王、陽原王、平原王、嬰陽王、榮留王、大陽、宝蔵王

百濟國王承累


温祚王、多婁王、己婁王、蓋婁王、肖古王、仇首王、古爾王、責稽王、汾西王、比流王、契王、近肖古王、近仇首王、武寂、枕流王、辰斯王、阿花王、直支王、久爾辛王、毗有王、蓋鹵王、文明王、三斤王、昆支、東城王、武寧王、聖明王、威徳王、恵王、法王、武王、義慈王、豊璋王

髙麗國王承累


太祖王建、惠宗、定宗、光宗、景宗、旭、成宗、穆宗、郁、顯宗、徳宗、靖宗、文宗、順宗、宣宗、献宗、肅宗、睿宗、仁宗、毅宗、明宗、神宗、凞󠄉宗、康宗、髙宗、元宗、忠烈王、忠宣王、忠肅王、忠惠王、忠穆王、忠定王、恭愍王、辛耦、辛昌、恭譲王

朝鮮王承累


太祖李成桂、定宗、太宗、世宗、文宗、端宗、世祖、睿宗、成宗、燕山君、中宗、仁宗、明宗、徳興(大院君)、宣宗、光海君、元宗、仁宗、孝宗、顯宗、肅宗、景宗、英宗、荘献世子、金湲(大陰君)、哲宗、興宣、正宗、純祖、翼宗、憲宗

羅馬法王累代

ビジョブグレゴリ一世=サビニアヌス=ボニハキス三世=ボニハキス四世=チュースデヂット=ボニハキス五世=ホノリウス一世=セウイルヌス=ジョン四世= テオドロス一世=マルチン一世=エウギニウス一世=イタリヌス=アヂユーダトス=ドヌス=アガト=レオ二世=ビジヂクト二世=ジョン五世=コノン= セルギウイス一世=ジョン六世=シシンニウス=コンスタンチン=グレゴリ二世=グレゴリ三世=サカリ=ステヘン二世=ボール一世=ステヘン三世=ステヘン四世=アドリアン一世 =レオ三世=ステヘン五世=バスカル一世=エウギニウス二世=ワーレンヂーグレゴリ四世=セルギウス二世=レオ四世=ジョン七世=ニコラス一世=アドリアン二世= ジョン八世=マリヌス八世=アドリアン三世=ホルモサス=ステヘン七世=ジョン九世=ビニヂクト四世=レオ五世=セルギウス三世=アナスタシウス三世 =ランドン=ジョン十世=レオ六世=ステヘン八世=ジョン十一世=レオ七世=ステヘン九世=マリヌス二世=アガペット=ジョン十二世=レオ八世 =ジョン十三世=ビニヂクト六世=ボニハキス=ビニヂクト七世=ジョン十四世=ジョン十五世=グレゴリ五世=シルウエステル二世=ジョン十六世= ジョン十七世=セルキウス四世=ビニヂクト八世=ジョン十九世=ジョン二十世=ビニヂクト九世=グレゴリ六世=クレメント二世=ダマサス二世=レオ九世=ウグト リア二世=ステヘン十世=ニコラス二世=アレキサンダー二世=グレゴリ七世=ウグトリア三世=アルバン二世=バスカル二世=ガラシウス二世=カリキストス二世= ホヌリウス二世=インノーセント二世=ケレスチナ二世=ルシヤス二世=エウギニウス三世=アナスタシウス四世=アドリアン四世=アレキサンダー三世=ルシアス三世 =アルバン三世=グレゴリ八世=クレメント三世=ケレスチナ三世=インノーセント三世=ホタリウス=グレゴリ九世=ケレスチナ四世=インノーセント四世= アレキサンダー四世=アルバン四世=クレメント四世=グレゴリ十世=インノセント五世=アドリアン五世=ジョン二十一世=ニコラス三世=マルチン四世= ホヌリウス四世=ニコラス四世=ケレスチナ五世=ボニハキス八世=クレメント五世=ジョン二十二世=ビニヂクト十一世=クレメント六世=インノーセント六世= アルバン五世=グレゴリ十一世=アルバン六世=クレメント七世=ボニハキス九世=ビニヂクト十二世=インノセント七世=グレゴリ十二世=アレキサンダー五世= ジョン廿三世=マルチン五世=エウキニウス四世=ニコラス五世=カリキストス三世=ピアス二世=ミクスタス四世=インノーセント八世=アレキサンダー六世= ビアス三世=ヂユリユウス二世=レオ十世=アトレン六世=クレメント七世=ボール三世=ジュリユウス三世=マルセルス二世=ボール四世=ビアス四世= ビアス五世=グレゴリ十三世=ミクスタス五世=アルバン七世=グレゴリ十四世=インノーセント九世=クレメント八世=レオ十一世=ボール五世= グレゴリ十五世=アルバン八世=インノーセント十世=アレキサンダー七世=クレメント十世=インノーセント十一世=アレキサンダー八世=インノー セント十二世=クレメント十一世=インノーセント十三世=ビニヂクト十三世=クレメント十二世=ビニヂクト十四世=クレメント十四世=ビアス六世=ビアス七世= レオ十二世=ビアス八世=グレゴリ十六世=ビアス九世=レオ十三世

右の世代は史實明覚なり。

支那帝王系

太古太昊義氏

庖犠=女媧=共工=太庭=柏皇=中央=歴陸=驪連=赫胥=尊盧=混沌=天英=朱襄=萬天=陰康=無懐

炎帝神農氏

炎帝=帝承=帝臨=帝則=帝百=帝来=帝裏=帝楡

黄帝軒轅氏

黄帝=少昊金天氏=顓頊高陽氏=帝嚳高辛氏=帝堯陶唐氏=帝舜有虞氏

禹=啓=太康=仲康=相=少康=王杼=王槐=王芒=王泄=王不降=王扃=王廑=王孔甲=王皐=王發=桀王履癸

湯=外丙=仲壬=太甲=沃丁=太庚=小甲=雍己=太成=仲丁=外壬=河亶甲=祖乙=祖辛=沃甲=祖丁=南庚=陽甲=盤庚=小辛=小乙=武丁=祖庚=祖甲=廩辛=康丁=武乙=太丁=帝乙=紂王辛

武王=成王=康王=昭王=穆王=共王=懿王=孝王=夷王=厲王=宣王=幽王

東周

平王=桓王=荘王=釐王=惠王=襄王=頃王=匡王=定王=簡王=霊王=景王=悼王=敬王=元王=貞定王=哀王=思王=考王=威烈王=安王=烈王=顯王=慎靚王=赧王

始皇帝=二世皇帝=三世皇帝

漢王

太祖=恵帝=太后呂氏=文帝=景帝=武帝=昭帝=昌邑王=宣帝=元帝=成帝=哀帝=平帝=孺子嬰=王莽=淮陽王

東漢

光武帝=明帝=章帝=和帝=殤帝=安帝=順帝=沖帝=質帝=桓帝=霊帝=献帝

昭烈帝=後皇帝

西晋

武帝=惠帝=懐帝=愍帝

東晋

元帝=明帝=成帝=康帝=穆帝=哀帝=帝奕=簡文帝=孝武帝=安帝=恭帝

武帝=營陽王=文帝=孝武帝=廃帝子業=明帝=後廃帝異=順帝

髙帝=武帝=鬱林王=海陵王=明帝=東昏侯=和帝

武帝=簡文帝=元帝=敬帝

武帝=文帝=臨海王=宣帝=焬公

文帝=煬帝=恭帝

高祖=太宗=髙宗=中宗=睿宗=玄宗=肅宗=代宗=徳宗=順宗=憲宗=穆宗=敬宗=文宗=武宗=宣宗=懿宗=僖宗=昭宗=哀帝

後梁

太祖=末帝

後唐

荘宗=明宗=閔帝=廢帝潞王

後晋

髙祖=出帝

後漢

髙祖=穏帝

後周

太祖=世宗=恭帝

太祖=太宗=眞宗=仁宗=英宗=神宗=哲宗=徽宗=欽宗

南宋

高宗=孝宗=光宗=寧宗=理宗=度宗=恭帝=端宗=帝昺

太祖=太宗=定宗=憲宗=世祖=成宗=武宗=仁宗=英宗=鉄木児=明宗=文宗=寧宗=順宗

太祖=惠宗=成祖=仁宗=宣宗=英宗=景宗=後英宗=憲宗=孝宗=武宗=世宗=穆宗=神宗=光宗=熹宗=毅宗=福王由松=唐王聿釧=永明王由榔

世祖=聖祖=世宗=仁宗=宣宗=文宗

右の支那王累の實史にて明らかなり。此の書を學ぶは以上を以て修験宗の智覚に入りなば信仰亦難しきことなけん。

修験宗大要

修験宗は宇宙の起原より人類及萬物の起原に究明し、それが信仰の源とし進化するもの・退化するもの・滅亡するもの・營ゆるもの、輪廻の源理に修験宗の芯あり。依て宗を立したり。諸行に諸教あるも眞理に叶はざれば邪教なり。日輪輝けば群星消滅するが如く修験宗は世界諸教の上に存し、一天無上の光明を保護する故に久遠なり。金剛不壊なり。日本國は依て日輪の國なり。太古より一天一日輪を神聖とし民祖となして崇むは誠に諸國世界の信仰を越したる大信仰なり。

修験宗は古代より諸宗の輩に害を蒙むり元祖役小角大聖、東日流の國末に追放さるも夷人の信仰に保護されて今日に至るも尚亦侵害のたゆるなし。修験宗の教は實相の鏡ゆえに邪道の輩みにくき己が相を被邪に堕ゆを必至に防するが故なり。修験宗は進轉する時代の偉業を尊び諸宗偉達者尚以て凡夫平民の進化偉人を良師とし学びて修成し、修験宗の大要として信仰の誠に人種差別・人位の階級・富貧の差別なく、是を平等信仰に結ぶは修験宗なり。

依て世界を智覚し民族を異にして爭はず、能く交易し互に利益し、國を榮ゆまし民安かれとなり、心貧しからず安心立命の基に身心を置きける世の造化につとむこそ修験宗の根本なり。修験宗は役小角の開起なれば、その宗旨に基きて益々進轉し末代は日本國はもとより世界の果に達す。修験宗は人類の進化に尊び尚以て爭乱のなき、惡業のなき人の世を完成せんとす。

大光寺
覚道

十方世界地理図

日本國


夷地、日の出海、東日流、奥道、大和、南海道、築紫、對島、日洛海

髙天原図


明坐、日坐、月坐、暗坐、星坐、温坐、寒坐、雨坐、風坐、雪坐、陽神、陰神、天界、天國之眞名井、雲坐、降吹空界、地界、水界、海物、陸物

修験宗古図写本


日の出海、日本、朝鮮、支那、蒙古國、大寒國、大砂國、エスライル、ローマ、比留麻國、チベット國、天竺國、ガンダラ國、日没海、アラビヤ國、死海、エジプト大王國、□海、墨土民國

修験宗根本抄典

修験宗は右教典を修成し、大祖役小角より今日尚修成に及べり。依て修験宗に加味せるは世界諸國の歴典・法典・民俗典にして、是を混合修成相完了せる時卽ち世界人種の混合せる時世なり。されば口語及び字種皆同く通し無辺の安住國とならん。

大光院 瑞明

修験宗民習學校

延久辛亥年五月一日建立
東日流大泉崎
修導院
承保乙卯年七月十一日建立
東日流十三港崎入山
山王修學院
承暦庚申四月十五日建立
東日流三世寺境内
修験宗宗得學校

右修験宗の教習導場也。

修験宗民習學校訓

修験宗とは學びて行ふ宗なり。信仰とは智覚の求道にして己れを安心立命の境に置き天命にまつ悟りなり。依て生々の間、是を學びて是を實行しよき結果を後世に遺すは修験宗民習學校の要にして、果しなき學びの奥義を究明して邪道を破り迷信を碎きて正道に導くは修験宗の教なり。

大光院 一心

授學項目辭書

  1. 支那・天竺・朝鮮・西域之地理
  2. 佛像造作法・建屋法之習
  3. 諸國之辨解・字解・習得
  4. 海國造船之習
  5. 數計算術之習
  6. 過去暦學之習
  7. 讀書之習
  8. 諸宗之宗旨究明之習
  9. 修験宗大要之習

大光院 修成書

役小角御遺訓

世界は日本のみならず、日輪亦日本のみを照らし給はず。平等一惠なり。依て修験宗を世に興したるは、生れくる者に大志を得さしめ民族の異にして爭ふを断が為なり。修験宗はよき哉。吾が法に從へて信ずる者は安心立命の境に達す。

役小角御影図

寂地東日流石化山
墳跡飯積石塔山
父髙賀茂大角
母須惠
大和國葛城上郡茅原に生る。